Tuesday, June 11, 2013

マージナル大学

学生・大学の状況を研究者がどう見ているのか知るべく,和文の学術論文を眺めてみた.
  • 居神浩 (2010) ノンエリート大学生に伝えるべきこと――「マージナル大学」の社会的意義, 日本労働研究雑誌 602, pp.27-38.
隙だらけの文章であるようには思うが,偏差値低めな大学における教育のあり方に関して,一つの意見として貴重である.メッセージはおよそ3点にまとめられる:
  1. 学習者としての主体性を確立させよ.
    • 教育サービスを消費しているだけの学生が多すぎる. 
    • このままただのノンエリートとして卒業してもまずいよ,という事実を突きつけるなどして学習する動機付けを行え.
  2. 初等教育レベルの「読み・書き・そろばん」能力を補強せよ.
    • 割り算のような教員が想像できないところでつまづいている学生に寄り添う必要がある.
  3. 将来労働市場でつらい目にあったときに役立つ能力と知識を与えよ.
    • ブラック企業のような厳しい労働環境におかれた場合,離職という選択肢だけでなく,職場環境を変えるべく「異議申し立て」をする選択肢もあり得る.労働者の権利について教育せよ.
国語・算数の重要性は同意するところである.私の勤務校は小学校教員養成学科を抱えているのだが,そこの学生が実習として我が所属学部の学生に算数などのリメディアルな教育を施してくれないものか.ステークホルダーはみな効用を高めることができるような.(文科省には怒られそうだ.)



blogを始めて1ヶ月経過した.これで31ポスト目なので,1日平均1ポストしていることになる.よっぽど孤独で退屈な日常なのだろう.内容の半分は講義録,1/3ほどは沖縄の統計ウォッチとなっている.(学生向けのコンテンツになっているとは言いがたいがやむを得ない.)

能力的な制約があるため記述統計を眺める程度のことしかできていないが,データを扱うのはいい刺激になっている.ここ1ヶ月駄文を垂れ流す中で,統計的に検証可能で,なおかつ検証したくなるような命題を導かないといけないなと気持ちを新たにした.また,印象や信念や断片的な伝聞やへぼモデルばかりに基づいて物事を語る危うさを改めて実感することにもなった.

No comments:

Post a Comment