Saturday, April 28, 2018

嘉数『島嶼学への誘い』

新年度の講義に備え,春休みに隙を見てめくっていた本のメモ.
  • 嘉数啓 (2017)『島嶼学への誘い: 沖縄からみる「島」の社会経済学』岩波書店. [Amazon]

経済学者として沖縄経済の振興に携わってきた人の本.その経験を活かして(官僚が好みそうな)島嶼型ビジネスモデルの数々を詳細に紹介している.

本書は沖縄経済について書かれた一般書の中ではきわめてまれなことに,背後に想定している理論モデルがある程度見えてくる本だ(文中に数理モデルが出てくるわけではない).「島嶼学」という聞きなれないタイトルだが,経済学を軸足に,島嶼経済,特に沖縄の持続可能な発展を目指した内容である.

すでに古希を回っていながら,比較的新しいliteratureにも目配りをし,近年に至るまで自身で論文も書かれている.入門書をかじっただけであたかも経済学のエキスパートかのようにマスメディアに駄文を垂れ流す者どもはこれを読んで恥じ入ったほうがいい.

とはいえ,いかんせん依拠する枠組が古すぎるように思う.データの取り扱い方はまるで訓練されていない我流である.経済学や統計学はここ数十年で大きな進歩を遂げており,もう少しキャッチアップしていただかなければ高い教育を受けた若い世代を説得することは難しいだろう.論文にもなっていると言っても,それが専門家同士のreviewをくぐり抜けられるクオリティでなければ,まっとうな学術的知見とは言えないと思う.

学術論文ではなく一般向けの本であることを差し引いても,議論が散漫に感じる.たとえば第5章はネットワークをテーマにした章で,最初にネットワーク外部性を紹介している.しかしその後ネットワーク外部性を考慮した分析から得られる経済学的知見はまるで出てこず「ネットワーク」という言葉の雰囲気から連想されるトピックが並ぶばかりである.中では素朴なグラビティ・モデルを回したとあるが(分析の詳細不明),おそらくネットワーク上で外部効果が波及することもなく単に無向な完全グラフで考えているだけにとどまっており,「ネットワーク」の分析というには誇大広告のような印象を受けた(し挙げている含意もネットワークと直接関係がない).
全体的に,十分に説得的な議論を積み重ねることのないまま次々と話が入れ替わり,結局何も証明されないのに何かがんばっている印象だけ残る.壮大な「序説」だけで肝心の本論がない.論点が次々と拡散していくので,批判を加えるには厄介だ.

ところどころ勇み足ぎみな筆者の主観も目につく.たとえば,小島嶼経済におけるsustainableな発展戦略として,(1) 複合的,(2) 循環的,(3) ユイマール,の3つを考えるべしと提案がある.(1)は1つのタスクに特化しないほうがよい,(2)は地産地消で廃棄物も活用するゼロ・エミッション,(3)は(参加制約を満たす範囲での)協業,ということ.
これらは試案のようで,「経済科学で理論実証的に証明できれば,間違いなくノーベル賞ものである(p.78)」とのことだ.素人を謀るようなことを軽々しく言わないでほしいし,本気で言っているのなら冷静になってほしい.せめて本書で整理している小島嶼経済の主要特性(遠隔性・海洋性・狭小性)との整合性を意識してほしい.ユイマールの精神で遠隔性を克服できれば世話はない.

筆者の政治的立場が露骨になるところもあり,「島を科学する」学問分野と称するにはいささか不用心ではないか.

枠組みが古い,と偉そうに噛み付いてみたものの,本書の理論的背景については(その論証手続きの今日的な説得性はひとまず置くとして)当たらずとも遠からずという印象はある.tyranny of distanceやhome market advantageについてはまさに空間経済学はモダンな分析道具を多く用意している.(みんなでもっと空間経済学を研究しよう!)

この本は,経済的自立についての議論が豊富である.これまで私は,経済自立という概念はどういった経済的歪みをどのように解消しどのように社会を改善するのかよくわからないアマチュアの無責任な政治的スローガン,という程度の認識でいた.本書ではしばしば「自立(律)」と書かれるが,概念がクリスタルクリアに洗練されていない感がバレバレで,現代経済学の批判に耐えられるだけの満足な理論的背景はないのだろうと思っている.

本書第6章ではまさに
経済自立の状況とは… [中略]… 「自ら稼いだ所得でもって自らの支出を賄うこと」である.
と経済学者が予算制約式をイメージしやすいように定義が書かれており,助かる(が厳密ではなく詳しい意味は不明であるしその意義も不明である.域外金融市場との取引を否定すると,消費を平準化できず厚生損失が生じるのでは.).
残念ながら,議論をするほどにだんだん雲行きが怪しくなっていく.自立しないと自立できない,という謎議論になっているところもある.論じている側が混乱しているように思う.定義から結論までの道のりが省略されすぎており,この行間を埋めるのは難しい.

本書では多くの紙面を割いて議論しているにもかかわらず,経済自立という概念が何らかの定型的な一般均衡モデルの中でどう位置づけられるのか,が見えてこない.自立がいったいどういう歪みをどういうロジックで解消するのか,どういう基準で誰にとって望ましい帰結をもたらすのか,どういった仮定に支えられているのか,がまるで見えない.首肯できるレベルのエビデンスもない.そんなわけで,ふんわりとした共感はできるが,学術的な賛同(と批判)は難しい.

経済学の切れっ端を寄せ集めたものが「島嶼学」ならなんと退屈な学問なのだろう.「自立」や「ネットワーク」という自然言語の持つ雰囲気ばかりが先行した印象論の域を出ていないと感じた.

上から目線で恐縮だが,筆者は(面識はないが)とても優秀な方だと思うのだけど,経済自立という視座を研究人生賭けて突き詰めてもあまり何も出てこなかったと思われる.私はその轍を踏むことは避けたい.



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