講義内容:
第5章をめぐるテクニカルなつぶやき:
Reference:
- 部分均衡分析の続き.
- 供給曲線と限界費用の対応関係
- 比較静学
- 第一定理
- 市場で取引するメリットは,「余剰」という概念で捉える.
- 何らかの経済政策を行うときに,今後は
- 「均衡」はどうなるか
- 「余剰」はどうなるか
- 弾力性について補足.
- レジュメ3へ移る.第5章はいったん飛ばす.
- やっと経済政策っぽい内容ができる.下準備が長すぎた.
- 第5章はこのままスルーしてもいいかもしれない.Pareto efficiencyって,経済学では使えても実社会ではあんまり使う機会がない気もする.
- もちろん実践的でないからといって,学ぶ意味がないわけではないのだが.教える場合はレジュメを作り直すかもしれない.
- レジュメ5で学ぶゲーム理論のほうがより脳みそのトレーニングに役立つと思うので,そちらを優先する予定.
- 梅雨入りした.この時期にダレてしまうと卒業が危ぶまれることにもなりうるので注意が必要である.
- blog開設した,と宣伝し忘れた…
第5章をめぐるテクニカルなつぶやき:
- Pareto efficiencyそのものより,その背後にある個人主義というかwelfarismというアイディアが大事だと考えている.
- たとえばKaplow and Shavell (2001)は「welfarismに基づかなければ,どんな政策評価もPareto principleに反する」という衝撃的な命題を示している.
- たいていの経済学者は効率性以外の概念,たとえば公平性やら正義やらケイパビリティやらも考慮する必要性を感じてはいる.
- しかしそういった価値観を持ち込んだ上で政策運営を行うと,誰かが損する状況が必ず生じてしまうのである.万事うまくいく,ということはありえないのだ.
- 状況によっては「国民みんなが損をすることが最も望ましい」などという北朝鮮も真っ青の政治判断が行われる可能性があるということだ.
- 証明は単純で超スマート.welfarismをうまく定義したらJPEか…
- 現実にはPareto improvingな政策なんてほとんど存在しないという意味で,実践的な概念ではないと思う.しかしながら,政策を運営をする際に損するグループがほぼ必ずどこかにいる,という鎌倉新仏教を彷彿とさせるような認識を持っておかないと政治はできない.
Reference:
- Louis Kaplow and Steven Shavell (2001) Any Non-welfarist Method of Policy Assessment Violates the Pareto Principle, Journal of Political Economy 109, 281-286. [link]
No comments:
Post a Comment