最近報道で「ザル経済」が一つのキーワードになっているらしく,私も意見を聞かれることがある (あった).自分のためにも,いくつかぱっと思いついた論点を整理しておきたい.
1. 基本的な考え方
- ミクロレベルの「ザル」 (特定の公共事業で県外企業が受注) と,マクロレベルでの「ザル」 (貿易収支バランス) は区別して議論する必要がある.
- 後者の場合,貯蓄・投資のバランスから決まるもの,という動学的なフレームワークが不可欠だと思う.というか,地域間財政移転に伴う双子の赤字的な状況ではないかと疑っている.
- 後者については,沖縄の場合県外からの純要素所得は労働所得も資本所得もプラス,金融収支もプラス,ということと整合的になるか考える必要がある.集計レベルでは,県外に資本所得が流出どころか,資本を県外に輸出して資本所得を稼いでいるポジションだろう.
- 域内の「循環」や「漏れバケツ (leaky bucket)」 みたいな話はどちらかと言えばマクロの議論であり,個別の事業が適正・透明に遂行されたかというミクロな評価とは分けて議論すべきであろう.
- 域内循環を高めるために県内企業の受注割合を高める…といったことを乱暴にやると,入札談合の温床になると懸念される.安直な排外主義は腐敗を招く.
- 経済学者の多くは,「循環」そのものではなく経済厚生を重視していると思う.ので,どういった歪み・失敗があるかを特定する必要がある.
- 循環を高めることが経済厚生の改善につながるとは言えない.地元でインプットを調達できることが望ましいとしても,それは輸送費用の節約や集積の経済や競争が理由であり,お金が回るからではない(なくてもよい).
- 受注する県外資本にも競争がある.「中抜き」で楽してレントを得ているとは限らない.(マークアップがあったとしても,沖縄だけで問題になるという理屈は自明ではない.) 県民の所得と雇用を生み出すために県外企業の力が必要で,県外企業が正当な対価を受け取っているだけならば,それを叩くのは難しい.
- 特定の産業で自給率を高めて輸入を減らしても,そのせいで他の産業の輸出が減って,マクロレベルでの「漏れ」を減らすことにつながらない可能性は十分考えられる.
- 県民の生活水準の向上が目的だったとして,公共事業が合目的な政策手段かは問われてしかるべきである.現場では予算を消化することばかりが優先されているかもしれない.
- 所得や雇用や生産性にどれだけ結びついたのか費用対効果を検証すべきである.しかしこうした政策評価は産業連関分析やロジックモデルでは (今どきの研究者を納得させることは) 難しいと思う.
- 産連によるよくある「経済効果」はルーカス批判を回避できないどころか,価格も資源制約も反実仮想も民間投資のクラウディングアウトもへったくれもないような・・.
- ワイズ・スペンディングが難しいのはわかるが,県内経済のボトルネックや歪みを緩和するためにお金を使ってほしい…
- 県内の受注割合は,県内に落ちるお金の割合,を意味しない.
- 県外企業が県内で労働者や資材を調達するかもしれない.大手ゼネコンは受注の多くを占めるが,外注も多いものである.
- イオンにも県産食品は売っているし県民が多数働いている,サンエーにも移入財・サービス・県外資本のテナントはたくさんある.イオンは避けてサンエーやりうぼうに行こう,という類いの話は直感的におかしい (無論,地元ブランドを選好すること自体はよい).
- 結局誰が便益を受けているのか,は自明じゃない.県外大手ゼネコンじゃなくて,建設場所周辺の県内在住地主が一番儲かっているかもしれない.
- 産業構造の視点.
- 県内調達を増やし県内建設業がより儲かるようになったとして,建設業に資源がシフトすると他の産業が縮小することになるのでは.Dutch diseaseみたいな話はやはり産連では出てこない(はず).
- ひも付き援助.
- 対外援助が,ドナー国から調達するようになっているなど「ひも付き」になっているせいで,思うような効果を挙げていない,という話は開発経済学で古くからあると思われる.公共事業が県外からの調達につながっているとして,それにまつわる論点はすでに軒並み出尽くしている気がする.援助全額がホスト国で使われるわけでなく,ドナー側でのアドミンのコストや調達コストが高くついてしまい現地には予算規模ほどには届かない,みたいな実情は現代でもある(と思うが専門外なので文献は知らない).
- 分配の問題など,そもそもの目的が自明ではない.
- 誰がレントを取るべきか,は分配の問題.パイを増やす問題と比べて,何が最適解なのかは自明ではない.語り得ぬ物には沈黙…と言うか,経済学だけではたいしたことは言えない(政治的信念が必要)ので個人的にはあまり触れたくないトピックである.
- domesticとnationalのどちらを見るべきか,というのも特に答えのない問題.だが,県外に「漏れ」た所得をただの無駄,とみなすのはいささか視野が狭いのではないだろうか.
- 県外に「漏れ」た所得は,県外の所得を増やし県の輸出需要を増やす,みたいな効果もあるはず.
- 生産要素の所有権がどのように決まっているか,は大事な問題だと思うけど,どのように決まっているべきか,はちょっと話が大きくなりすぎる気がする.
- 資本の所有権がないなら,貯蓄して投資して資本所得を稼げばよいという話になりそう.現時点でも県民は建設業ETFやREITに自由に投資できるのだから.
2. Brecher and Bhagwati 1981 JPE
域外からの所得移転が直感に反してネガティブになる,という議論はtransfer paradoxやcurse of foreign aidといった文脈と密接だと思う.専門外だが勉強も兼ねて,眺めた論文の簡単なメモを残しておく.この文脈は日本人経済学者 (八田先生や矢野先生など) も重要な貢献をしているので,そのうち気が向いたら引き続きメモをしたい.
BrecherとBhagwatiは,生産要素の所有権に注目してHOモデルを書いている.設定は単純で,国内にある$\bar{K}$のうち国民が持つ分が少ない(外資が国内で生産しているイメージ),といった状況を考えている.基本的にはただそれだけ.
この場合,「国内」でみれば援助で厚生改善したとしても「国民」でみれば援助が厚生悪化になる可能性が出てくる.TOTが変化したとき(Stolper-Samuelsonで)損する生産要素があるから (得する方の要素があってもその所有権がなければ…),というのがおおまかな直感.
- 正確には論文9式.貿易の価格弾力性や変化前の貿易パターンに依存する.貿易パターンは要素賦存量で決まる.なお,「国民」の貿易パターンは,仮に「国民」の持つ要素だけで生産していれば,というものである.国内で見ればXを輸出してるかもしれないけど国民だけならXを輸入しYを輸出するはずだったということすらありえるよ,という感じ.
しかし現代の沖縄の文脈には直接援用できないモデルかもしれない.建設業は非貿易セクターなので.
Reference
- Brecher, Richard A., and Jagdish N. Bhagwati. "Foreign ownership and the theory of trade and welfare." Journal of Political Economy 89.3 (1981): 497-511.
続く…かもしれない?
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