Monday, April 30, 2018

国勢調査における「不詳」と沖縄

最新の国勢調査で,人口移動に関するデータを眺めている.今回のエントリは,沖縄には「不詳」に分類されている輩が多すぎる,という話.

総務省国勢調査では5年前の居住地についての情報が集められている.ところが,5年前の居住地が「不詳」となっている人も少なくない.「不詳」の正体は何なのだろうか.

小池・山内 (2014) では, 2010年の国勢調査で「不詳」についてレポートしている.
  • 2005年以前と比べて「不詳」が急増している.
  • 地域,年齢,就業状態によって「不詳」の割合が異なる.
    • 大都市圏で高い.沖縄や高知も高い.
    • 若者は高い.
    • 分類不能の産業,分類不能の職業,で高い.
といったことが指摘されている.

以下2015年の国勢調査で不詳について見ていく.特に何を明らかにするわけでもなく,どこに不詳が集まっているかを眺めるだけ.

1. 都道府県レベル
47都道府県別に不詳割合を計算する.
現住地による5年前の常住地について,
総数(常住者) = 現住所 + 自県内 + 転入 + 5年前の常住市区町村「不詳」 + 移動状況「不詳」
という関係が成り立つ.ここでは右辺にある2つの「不詳」の合計が,左辺に占める割合を「不詳のシェア」と呼ぼう.なおサイズ的には,後者の移動状況自体が不詳な者が多い.
計算結果が以下の図である.

  • 沖縄は東京大阪に次ぐ全国3位の13.7%である. なお,全国平均は8.8%である.
都会だとオートロックで調査員が入れないマンションがたくさんあり詳細不明,という人がたくさんいてもなんとなく納得できる.しかし沖縄はそうした事情だけでは説明できない何かがありそうな気がする.

2. 市町村レベル
市町村レベルのデータでも同様に不詳シェアを計算する.市町村の場合,現住地による5年前の常住地について,
総数(常住者) = 現住所 + 自市区町村内 + 自市内他区 + 県内他市区町村 + 他県 + 国外 + 5年前の常住市区町村「不詳」 + 移動状況「不詳」
= 5年前の常住地による人口総数 + 転入 - 転出 + 5年前の常住市区町村「不詳」 + 移動状況「不詳」 ,
が成り立つ.ここでも,不詳2つの和が左辺の常住者総数に占める割合を不詳シェアとして計算した.

全国の市区町村でヒストグラムを作ると以下の通り.


薄くて見えにくいやつが沖縄県内41市町村の分布.全国と極端に変わった気配はないようにも見えるが,全国よりもシェアが高い地域が多いようにも見える.

沖縄県内の各市町村について見る(下図)と,都市部に不詳が集中していることがわかる.
  • トップは那覇市でなく沖縄市であった.実に4人に1人(24.7%)が不詳
  • 島嶼部はおおむね低い傾向にあるが,竹富町がけっこう高い.
本島にあっても,「誰誰さんは○○家の××」 みたいな話がよく出てくるような小さい町村は不詳が少ない傾向にある.
図2 県内市町村別の不詳のシェア.

図3 不詳シェアの地図(やっつけ)

3. 外国人?
不詳というと,外国人が多いせいではないか,と疑う人がいるかもしれない.沖縄市,宜野湾市,北谷町など米軍基地が近そうな場所で不詳が多いように見えるのも気になる.

そこで,「推計人口」から2015年10月1日時点での総人口のうち,外国人が占めるシェアを計算し,不詳との相関を見た(下図).
図4 外国人が多くても不詳は増えないかも.
 外国人の割合が高い市町村であっても,不詳のシェアが大きくなるとは限らないようである.
不法入国がどれだけあるかは知りようがないものの,外国人が多いコミュニティでは国勢調査の精度が落ちる,とは少なくとも県内に限っては言えない

4. 人口の流動性?
小池・山内(2014)によると,人口移動の活発な地域ほど不詳割合が高くなることが知られているそうだ.東京大阪のような都市部で不詳が急増するのはそのせいかもしれない.沖縄ではどうだろうか.

次のように人口のモビリティの指標を定義する.
モビリティ =(転入 + 転出) / (常住者 - 不詳)
分子は純転入でなく,グロスの人口移動を捉えている.
作成したモビリティの指標と不詳シェアの相関を見たのが次の図.
図5 人口の流動性と不詳は関係なさそう.
小池・山内(2014)と違って,移住が活発な地域ほど不詳が増える傾向は見られない
むしろ負相関に見えるのは,沖縄の場合,不詳が少ない島嶼部でモビリティが高い傾向があるからである.しかし島嶼部を除いたサンプルで見ても,依然として人口移動のボリュームと不詳にはあまり関係がなさそうであった.

5. まとめ
沖縄は全国と比べて5年前の居住地が不詳の人たちが多いようである.不詳は県内都市部に広く分布しているようであるが,それ以上の特徴はすぐにはわからない.
不詳となる原因はいくつか考えられるが,外国人が多い地域,転入・転出が多く人の移動が流動的な地域,という説明だけでは不十分そうである.アンダーグラウンドに生きる人たちや,統計調査に非協力的な人たちが他府県よりも多めに存在しているのかもしれない.

なお,若年は不詳になりやすいこともあり,若年が多い地域は不詳シェアも高い.とはいえ,説明できる変動はそれほど大きくない.

結局謎のままだが,とりあえずこのへんで.

Reference
  • 小池司朗・山内昌和 (2014) 「2010年の国勢調査における「不詳」の発生状況: 5年前の居住地を中心に」人口問題研究 70-3(2014.9)pp.325~338

Sunday, April 29, 2018

加藤ほか(編)『沖縄子どもの貧困白書』

さらに読書メモ.
  • 加藤彰彦ほか編『沖縄子どもの貧困白書』かもがわ出版, 2017年.
ここ数年沖縄では子供の貧困に関心が集まっている(なお,私は「子ども」表記は馴染めないので以下「子供」と記す).貧困研究で著名な阿部氏を始めとするチームでの調査が沖縄でなされ,子供の相対的貧困率が29.9%と衝撃の数字も出た.

この相対的貧困率を算出するにあたって,市町村が持つ税務データを収集している.せっかく大規模でリッチな個票データを集めたのだから,相対的貧困率という解釈が必ずしもstraightforwardでない指標を1つ弾き出すだけでなくもっと詳しく多面的に分析してくれよ,と思うが,この白書の中には相対的貧困率を作るのに苦心した話はあるがそれを使った分析は見られなかった.残念である.
公益性の高い学術研究には,センシティブな情報であってももっと利用できるようになればいいのに.たとえ公にできないとしても,ここで集めた情報にもとづいて貧困対策のRCTと追跡調査を行ったほうがよいと思う.

相対的貧困率を算出した調査とは別でアンケート調査を行っており,その結果を利用した分析も載っている.しかし紙面が限られていることもあり,統計データからは大して何も明らかにされていない.
(もちろん,このアンケート調査で示唆されているように,貧困がsocial exclusionのリスクを孕むことは重要である.データが持っているであろう情報が適切に抽出・プレゼンされていないと感じたということ.)

本白書は貧困現場のルポで充実している.他方で,貧困を生み出す背景についての経済学的な分析が欠けているのが残念である.それどころか,
新自由主義とは,経済のグローバル化が進むなか,民間企業がグローバル競争を勝ち抜くことに依拠して社会の基盤を維持しようと考え,企業が十全に活動を展開し利益を上げることができる条件を整えるべきであるとする考え方や,その考え方にもとづく諸施策のことです.(p.260)
などと頭が痛くなるような藁人形論法で,新自由主義が非正規雇用を増やし地方の教育や福祉を悪化させたと示唆されている.編集者の一人も
経済的利潤や能率,効果ばかりを求める動きも強くなってきています.基準に合わない,役立たないと人を切り捨てていく文化も,私たちのなかに生きています.(p.276)
と,セーフティネットを破壊するものとして経済活動(の一側面)を捉えている.貧困は疑いなく経済問題であり,経済学への理解が不可欠に思うのだが..


貧困の原因分析や貧困対策政策の評価が十分になされていないため,貧困対策への<提言>もちぐはぐに感じる.<提言> (なんだこの不等号は)を手短にまとめると以下の通り.
  1. 既存の支援策の周知
  2. 通学支援: 交通費補助
  3. 進学支援: 奨学金
  4. 雇用環境改善
  5. 乳幼児・シングル親支援
  6. 既存の支援策の整理
  7. 総括組織の強化
  8. 条例の策定
  9. 調査の継続

アンケート調査では食料を買えなかった経験を持つ子供がたくさんいる!とレポートされている(し沖縄の食料価格は全国より高いとも言及がある)一方で,なぜか<提言>では食費(や無条件現金給付)ではなく交通費の補助を挙げている.徒歩通学者や未就学児童にはほぼ無意味な上,就学や進学を妨げる制約条件をうまく緩和することが期待できるわけでもなく,特定業界への利益誘導の隠れ蓑にさえなる悪手ではないかと感じた.交通費が家計を圧迫しているとしても,子供のバス代よりも自家用車のランニングコストのほうが交通費の大宗を占めるのではないかと思うのだが.
白書の中にほとんど出てこない交通費への補助を明記する一方で,白書の中でたびたび言及されるソーシャル・ワーカーについては表立って言及されていない.ちぐはぐな印象を受ける.


対貧困政策には"More than good intentions"を心に留めておくべきだと思う.現場の悲惨さを目の当たりにして心動かされたとしても,それだけではうまく貧困を解決することはできない.私はMore thanの部分を知りたいのだけれどこの本の焦点はgood intentionsにあった.

Saturday, April 28, 2018

嘉数『島嶼学への誘い』

新年度の講義に備え,春休みに隙を見てめくっていた本のメモ.
  • 嘉数啓 (2017)『島嶼学への誘い: 沖縄からみる「島」の社会経済学』岩波書店. [Amazon]

経済学者として沖縄経済の振興に携わってきた人の本.その経験を活かして(官僚が好みそうな)島嶼型ビジネスモデルの数々を詳細に紹介している.

本書は沖縄経済について書かれた一般書の中ではきわめてまれなことに,背後に想定している理論モデルがある程度見えてくる本だ(文中に数理モデルが出てくるわけではない).「島嶼学」という聞きなれないタイトルだが,経済学を軸足に,島嶼経済,特に沖縄の持続可能な発展を目指した内容である.

すでに古希を回っていながら,比較的新しいliteratureにも目配りをし,近年に至るまで自身で論文も書かれている.入門書をかじっただけであたかも経済学のエキスパートかのようにマスメディアに駄文を垂れ流す者どもはこれを読んで恥じ入ったほうがいい.

とはいえ,いかんせん依拠する枠組が古すぎるように思う.データの取り扱い方はまるで訓練されていない我流である.経済学や統計学はここ数十年で大きな進歩を遂げており,もう少しキャッチアップしていただかなければ高い教育を受けた若い世代を説得することは難しいだろう.論文にもなっていると言っても,それが専門家同士のreviewをくぐり抜けられるクオリティでなければ,まっとうな学術的知見とは言えないと思う.

学術論文ではなく一般向けの本であることを差し引いても,議論が散漫に感じる.たとえば第5章はネットワークをテーマにした章で,最初にネットワーク外部性を紹介している.しかしその後ネットワーク外部性を考慮した分析から得られる経済学的知見はまるで出てこず「ネットワーク」という言葉の雰囲気から連想されるトピックが並ぶばかりである.中では素朴なグラビティ・モデルを回したとあるが(分析の詳細不明),おそらくネットワーク上で外部効果が波及することもなく単に無向な完全グラフで考えているだけにとどまっており,「ネットワーク」の分析というには誇大広告のような印象を受けた(し挙げている含意もネットワークと直接関係がない).
全体的に,十分に説得的な議論を積み重ねることのないまま次々と話が入れ替わり,結局何も証明されないのに何かがんばっている印象だけ残る.壮大な「序説」だけで肝心の本論がない.論点が次々と拡散していくので,批判を加えるには厄介だ.

ところどころ勇み足ぎみな筆者の主観も目につく.たとえば,小島嶼経済におけるsustainableな発展戦略として,(1) 複合的,(2) 循環的,(3) ユイマール,の3つを考えるべしと提案がある.(1)は1つのタスクに特化しないほうがよい,(2)は地産地消で廃棄物も活用するゼロ・エミッション,(3)は(参加制約を満たす範囲での)協業,ということ.
これらは試案のようで,「経済科学で理論実証的に証明できれば,間違いなくノーベル賞ものである(p.78)」とのことだ.素人を謀るようなことを軽々しく言わないでほしいし,本気で言っているのなら冷静になってほしい.せめて本書で整理している小島嶼経済の主要特性(遠隔性・海洋性・狭小性)との整合性を意識してほしい.ユイマールの精神で遠隔性を克服できれば世話はない.

筆者の政治的立場が露骨になるところもあり,「島を科学する」学問分野と称するにはいささか不用心ではないか.

枠組みが古い,と偉そうに噛み付いてみたものの,本書の理論的背景については(その論証手続きの今日的な説得性はひとまず置くとして)当たらずとも遠からずという印象はある.tyranny of distanceやhome market advantageについてはまさに空間経済学はモダンな分析道具を多く用意している.(みんなでもっと空間経済学を研究しよう!)

この本は,経済的自立についての議論が豊富である.これまで私は,経済自立という概念はどういった経済的歪みをどのように解消しどのように社会を改善するのかよくわからないアマチュアの無責任な政治的スローガン,という程度の認識でいた.本書ではしばしば「自立(律)」と書かれるが,概念がクリスタルクリアに洗練されていない感がバレバレで,現代経済学の批判に耐えられるだけの満足な理論的背景はないのだろうと思っている.

本書第6章ではまさに
経済自立の状況とは… [中略]… 「自ら稼いだ所得でもって自らの支出を賄うこと」である.
と経済学者が予算制約式をイメージしやすいように定義が書かれており,助かる(が厳密ではなく詳しい意味は不明であるしその意義も不明である.域外金融市場との取引を否定すると,消費を平準化できず厚生損失が生じるのでは.).
残念ながら,議論をするほどにだんだん雲行きが怪しくなっていく.自立しないと自立できない,という謎議論になっているところもある.論じている側が混乱しているように思う.定義から結論までの道のりが省略されすぎており,この行間を埋めるのは難しい.

本書では多くの紙面を割いて議論しているにもかかわらず,経済自立という概念が何らかの定型的な一般均衡モデルの中でどう位置づけられるのか,が見えてこない.自立がいったいどういう歪みをどういうロジックで解消するのか,どういう基準で誰にとって望ましい帰結をもたらすのか,どういった仮定に支えられているのか,がまるで見えない.首肯できるレベルのエビデンスもない.そんなわけで,ふんわりとした共感はできるが,学術的な賛同(と批判)は難しい.

経済学の切れっ端を寄せ集めたものが「島嶼学」ならなんと退屈な学問なのだろう.「自立」や「ネットワーク」という自然言語の持つ雰囲気ばかりが先行した印象論の域を出ていないと感じた.

上から目線で恐縮だが,筆者は(面識はないが)とても優秀な方だと思うのだけど,経済自立という視座を研究人生賭けて突き詰めてもあまり何も出てこなかったと思われる.私はその轍を踏むことは避けたい.