以前途中まで書いたまま放置していたエントリを,気分転換に加筆して公開する.
私は経済統計の実務についてはまったく知らないので,ところどころ不正確なところもあるだろうから割り引いて読んでいただきたい.
すでに1年前のことだが,産経新聞で沖縄の県民経済計算が槍玉に挙げられていた.
巧妙に印象操作しているのはどっちやねんという感じだが,沖縄の県民経済計算がいまいち実感と合わないことは数年前このブログでも取り上げた通りである.
高知県と沖縄県の県民経済計算の推計方法を比較する.2018年1月時点ではすでにデッド・リンクになってしまい,根拠資料がPDFですぐに入手できないが,このエントリの下書きをした時点では以下の資料を参考にした:
高知県方式をもっともらしい推計として考えるためには,conceptualには
他方で$w_i/w_{jp}$が入った沖縄県方式の場合,平均労働生産性が等しいことまでは要求しない.沖縄県方式の場合,
典型的な新古典派経済モデルだと,競争的な要素市場で決まる賃金率は労働の限界生産性に等しいが,平均労働生産性に一致する保証はない.この意味で沖縄県方式がある程度フレキシブルな生産技術に対応したコンセプト,あるいはいわば「経済学的に自然」なコンセプトに裏打ちされているとは言えない.
そうはいっても,全国と沖縄との間に平均労働生産性格差がない,という制約を課す高知県方式を沖縄に採用する方が無理があるだろう.物価水準も違えば(上で議論している変数は名目である),労働者の技能の構成も産業構造も資本装備率も資本集約度も企業規模も市場環境も全国とは少なからず異なっている.
相対現金給与が平均労働生産性格差を近似的に捉えていると考え,生産性のギャップを簡単に利用可能なデータ(毎月勤労統計調査)から計算するのはそれほどナンセンスだとは思わない.
2018年1月20日追記: Jones (2014) は人的資本の地域差をどう捉え集計するか議論しており,$w_i/w_{jp}$でefficiency unitsを計算するのを伝統的なアプローチとしている.
2. 高知県の変更
高知県統計課の資料「平成26年度高知県県民経済計算の推計方法の見直しについて」[PDF link]では,平成26年度推計の際に,上で紹介した高知県方式を改める旨の記述がある.以下引用する:
高知県いわく,賃金格差を加味するのは産経が暗黙に示唆するような沖縄オリジナル方式ではなく,「全国的な推計方法」とのことである.
3.他府県の例
「全国的な推計方法」と書かれているが,他府県はどうだろうか.
兵庫県の場合,$w_i/w_{jp}$のある沖縄県と同じ方式で計算していた.他方で,三重県は$w_i/w_{jp}$がない旧高知県方式で計算している模様である.三重のような全国平均と大差ない地域ならそれでもよい気がする.
$w_i/w_{jp}$込みの計算方法が全国標準かと言うとよくわからない.この点についてはもう少し調べる必要がある.
ちなみにアメリカの県民経済計算にあたるRegional Economic Accountsも,内挿・外挿を行う際には賃金や給与を用いるようである.経済統計の実務において現金給与を用いて生産性のギャップを加味することが大きな間違いだとは考えにくい.
4. 定量的なインパクト
沖縄県方式と高知県方式は$w_i/w_{jp}$が1かどうか,という点で差がある.仮に沖縄県が高知県方式を採用すると,どの程度沖縄の所得は数字上高まるのだろうか.
産経いわく,
5. まとめ
以上の議論を簡単にまとめる:
産経は,沖縄県が高知県と同じ計算方法を選べばもっと所得が高いと言っている.しかし,高知県の計算方法の方が適切であるとは考えにくいし,沖縄県が恣意的にナンセンスな計算方法を採用しているとも言えない(ただし産経の議論とは別の理由で,県民経済計算を質の高い統計と思っていない).高知県も計算方法を沖縄県と同様のものに変更した.
長くなったのでこのへんで.
この記事を書いた記者は最近新たに香ばしそうな沖縄統計ネタを書いているようなので(というよりそっちの方について問い合わせがあったのが今回の執筆のきっかけである),気分が向いたらそちらも検討してみたい.
(産経にマジレスすると私を工作員であるかのように書きたてる変な人達がうようよ湧いてきそうなポイズンなご時世であるが,政治的な何かには巻き込まないでいただきたい.)
参考文献
Jones, Benjamin F. 2014. "The Human Capital Stock: A Generalized Approach." American Economic Review, 104(11): 3752-77.
私は経済統計の実務についてはまったく知らないので,ところどころ不正確なところもあるだろうから割り引いて読んでいただきたい.
すでに1年前のことだが,産経新聞で沖縄の県民経済計算が槍玉に挙げられていた.
巧妙に印象操作しているのはどっちやねんという感じだが,沖縄の県民経済計算がいまいち実感と合わないことは数年前このブログでも取り上げた通りである.
上のエントリは今見直すとところどころ変な記述もあるが,最新のデータで見ても石油石炭製品の産出が不自然なせいで全体として不自然になっている予感がするというメッセージには変わりない.
県民経済計算は沖縄に限らず各都道府県で独自の計算をしていて,クロスセクションの比較は難しい状況である.基準の統一がなされることには大いに賛成である.素朴な線形モデルを各地で積み上げていっても不安定な推計になるだろうから,モデルベースで統一的なsmall area estimationをしていったほうがいいような気はする.2008SNAに対応するついでに改善してほしい.
さて今回のエントリでは,産経が沖縄に対して悪意ある書き方をしているような気がしたので,若干の弁護をしておこうと思う.後日,日経新聞のやさしい経済学のとある回にも,産経の記事を真に受けたかのような記述が見られたし,全国紙は良くも悪くも影響力があるものだ.多少なりとも経済統計と真摯に向き合ったことがある人なら産経の記事を読んでもまるで腑に落ちないだろうし,そのうち誰かまともな人が解説記事をどこかに書いてくれると思うのだが,取り急ぎのメモとして残す.
産経のポイントは,「高知県方式」で計算し直すと沖縄の所得が高まる,である.
私のポイントは,高知県方式がもっともらしい計算とは限らない,という点だ.たしかに高知県方式で計算すれば沖縄の所得は高まりそうだが,それは「もし沖縄が全国と同じ労働生産性ならもっと所得が高まるはず」というものであって,全国と同じ生産性という前提がもっともらしいことまでは意味しない.
産経ニュースは25年度のデータについての記述だが,数ヶ月後に公表された26年度の県民経済計算では,高知県の方が沖縄県(や全国)と同様の計算方法に変更している.素人が産経の記事を読めば沖縄県が恣意的な計算方法によりデータを操作しているかのように解釈しそうになるものの,実態はむしろ高知県のほうがより素朴な計算方法を採用していたのではないだろうか.
1. 計算方法の違い
私のポイントは,高知県方式がもっともらしい計算とは限らない,という点だ.たしかに高知県方式で計算すれば沖縄の所得は高まりそうだが,それは「もし沖縄が全国と同じ労働生産性ならもっと所得が高まるはず」というものであって,全国と同じ生産性という前提がもっともらしいことまでは意味しない.
産経ニュースは25年度のデータについての記述だが,数ヶ月後に公表された26年度の県民経済計算では,高知県の方が沖縄県(や全国)と同様の計算方法に変更している.素人が産経の記事を読めば沖縄県が恣意的な計算方法によりデータを操作しているかのように解釈しそうになるものの,実態はむしろ高知県のほうがより素朴な計算方法を採用していたのではないだろうか.
1. 計算方法の違い
高知県と沖縄県の県民経済計算の推計方法を比較する.2018年1月時点ではすでにデッド・リンクになってしまい,根拠資料がPDFですぐに入手できないが,このエントリの下書きをした時点では以下の資料を参考にした:
兵庫県や三重県の計算方法も比較対象として見ている.両県には詳しいスタッフがいるという噂をどこかで耳目にしたことがあるからである.
産経には
「1人当たり現金給与」を考慮しているケースと、そうでないケースが混在している。
とある.たしかに,一人当たり現金給与の対全国比を考慮するかどうかが沖縄と高知の違いの一つになっているようなので,このエントリでは現金給与が絡む計算方法に議論を絞る.
県民経済計算は,全国の値を利用しながら簡易推計を行っている.基幹統計ではなく,少ないマンパワーでなんとか形にしているのである.あくまでも簡易推計なので,何か正解となるやり方があるわけではない.推計手法の望ましさを検討する上では,地域経済の実態に即し,利用可能な情報を活かし,実務的に実行可能な範囲でのセカンド・ベストを考えるべきであろうことはあらかじめ断っておきたい.
沖縄県方式の場合,たとえば都道府県iのある産業のoutput($Y_i$)を計算する際には,全国のoutput ($Y_{jp}$)から以下のように推計する:
\[Y_i = \frac{w_i}{w_{jp}} \times \frac{L_i}{L_{jp}} \times Y_{jp}. \]
ここで$w$は一人当たり現金給与,$L$は従業者数を表す.全国の産出額に,相対労働者数と相対賃金率をかけたものを地域の産出額としているわけだ.
一方25年度における高知県方式の場合,
県民経済計算は,全国の値を利用しながら簡易推計を行っている.基幹統計ではなく,少ないマンパワーでなんとか形にしているのである.あくまでも簡易推計なので,何か正解となるやり方があるわけではない.推計手法の望ましさを検討する上では,地域経済の実態に即し,利用可能な情報を活かし,実務的に実行可能な範囲でのセカンド・ベストを考えるべきであろうことはあらかじめ断っておきたい.
沖縄県方式の場合,たとえば都道府県iのある産業のoutput($Y_i$)を計算する際には,全国のoutput ($Y_{jp}$)から以下のように推計する:
\[Y_i = \frac{w_i}{w_{jp}} \times \frac{L_i}{L_{jp}} \times Y_{jp}. \]
ここで$w$は一人当たり現金給与,$L$は従業者数を表す.全国の産出額に,相対労働者数と相対賃金率をかけたものを地域の産出額としているわけだ.
一方25年度における高知県方式の場合,
\[Y_i = \frac{L_i}{L_{jp}} \times Y_{jp}, \]
という式で$Y_i$を計算する.高知県方式は,相対賃金$w_i/w_{jp}$の項を1とした,沖縄県方式の特殊ケースになっている.
産経が指摘する通り,沖縄県にとっては沖縄県方式の方が高知県方式よりもoutputが低めに計算される.沖縄の賃金水準は全国よりも相当低い($w_i/w_{jp}<1$)ためである.
問題は,$w_i/w_{jp}$項を入れるかことが経済学的にセンスあるやり方かどうかだ.
という式で$Y_i$を計算する.高知県方式は,相対賃金$w_i/w_{jp}$の項を1とした,沖縄県方式の特殊ケースになっている.
産経が指摘する通り,沖縄県にとっては沖縄県方式の方が高知県方式よりもoutputが低めに計算される.沖縄の賃金水準は全国よりも相当低い($w_i/w_{jp}<1$)ためである.
問題は,$w_i/w_{jp}$項を入れるかことが経済学的にセンスあるやり方かどうかだ.
高知県方式をもっともらしい推計として考えるためには,conceptualには
- 全国と地域iとで,平均労働生産性が等しい($Y_i/L_i=Y_{jp}/L_{jp}$).
他方で$w_i/w_{jp}$が入った沖縄県方式の場合,平均労働生産性が等しいことまでは要求しない.沖縄県方式の場合,
- 全国と地域iとで,平均労働生産性の格差が,相対現金給与に等しい($(Y_i/L_i)/(Y_{jp}/L_{jp})=w_i/w_{jp}$).
典型的な新古典派経済モデルだと,競争的な要素市場で決まる賃金率は労働の限界生産性に等しいが,平均労働生産性に一致する保証はない.この意味で沖縄県方式がある程度フレキシブルな生産技術に対応したコンセプト,あるいはいわば「経済学的に自然」なコンセプトに裏打ちされているとは言えない.
そうはいっても,全国と沖縄との間に平均労働生産性格差がない,という制約を課す高知県方式を沖縄に採用する方が無理があるだろう.物価水準も違えば(上で議論している変数は名目である),労働者の技能の構成も産業構造も資本装備率も資本集約度も企業規模も市場環境も全国とは少なからず異なっている.
相対現金給与が平均労働生産性格差を近似的に捉えていると考え,生産性のギャップを簡単に利用可能なデータ(毎月勤労統計調査)から計算するのはそれほどナンセンスだとは思わない.
2018年1月20日追記: Jones (2014) は人的資本の地域差をどう捉え集計するか議論しており,$w_i/w_{jp}$でefficiency unitsを計算するのを伝統的なアプローチとしている.
2. 高知県の変更
高知県統計課の資料「平成26年度高知県県民経済計算の推計方法の見直しについて」[PDF link]では,平成26年度推計の際に,上で紹介した高知県方式を改める旨の記述がある.以下引用する:
2.見直し内容(主なもの)
(1)全国的な推計方法に準拠することとしたもの
① 賃金格差の導入(不動産業、運輸業、情報通信業及びサービス業の一部)
・毎月勤労統計の一人当たり現金給与総額の対全国比を乗じる → 23年度以前はマイナスに作用、24年度以降はプラスに作用
高知県いわく,賃金格差を加味するのは産経が暗黙に示唆するような沖縄オリジナル方式ではなく,「全国的な推計方法」とのことである.
3.他府県の例
「全国的な推計方法」と書かれているが,他府県はどうだろうか.
兵庫県の場合,$w_i/w_{jp}$のある沖縄県と同じ方式で計算していた.他方で,三重県は$w_i/w_{jp}$がない旧高知県方式で計算している模様である.三重のような全国平均と大差ない地域ならそれでもよい気がする.
$w_i/w_{jp}$込みの計算方法が全国標準かと言うとよくわからない.この点についてはもう少し調べる必要がある.
ちなみにアメリカの県民経済計算にあたるRegional Economic Accountsも,内挿・外挿を行う際には賃金や給与を用いるようである.経済統計の実務において現金給与を用いて生産性のギャップを加味することが大きな間違いだとは考えにくい.
4. 定量的なインパクト
沖縄県方式と高知県方式は$w_i/w_{jp}$が1かどうか,という点で差がある.仮に沖縄県が高知県方式を採用すると,どの程度沖縄の所得は数字上高まるのだろうか.
産経いわく,
24年度の1人当たり県民所得ランキングで、沖縄県は全都道府県の中で最下位の47位の203万5000円。ところが、高知県(調査時点では45位)と同様の方式で計算し直すと、沖縄県の1人当たり県民所得は266万5000円で63万円増加し、全国28位に浮上することが判明した。県内総生産も、公表されている3兆8066億円から4兆6897億円に上昇する。一人当たり県民所得が3割程度,県内総生産が2割程度増えるらしい.産経の根拠は不明だが,たしかに2~3割程度は変動するかもしれない.とてもざっくりした概算は以下の通りである:
- 毎勤によれば,$w_i/w_{jp}$は全産業で0.74から0.77程度である.仮に全国と沖縄で生産性格差がなければ,産経の示唆する通り3割強($1/0.75 \simeq 1.33$)所得が上昇することになる.
- ただし,実際は沖縄県でもすべての産業で$w_i/w_{jp}$を使った計算をしているわけではない.高知県方式と差があるのは,不動産,運輸,情報通信,サービス業の中でも一部の産業に限られる.かなり多めに見積もってもこれらの産業が全産業に占めるシェアは5割に満たない.そのため,せいぜい$33/2$で2割弱程度上昇するにとどまると考えられる.
- なお,上で議論していた$Y$はgrossのoutputであり,value addedではない.outputが2割弱上昇し,input(およそoutputの4割程度)が不変の場合,value addedは3割程度上昇することになる.
ちょっとしたコンセプトの修正で2, 3割も数字が動くのはいかがなものかと思うが,全国並にキャッチアップして$w_i/w_{jp}$を1に近づけることは大きなインパクトを持つと考えられる.
那覇浦添都市圏に住んでいる実感としては,たしかに沖縄が全国最下位とは思わない.どこかに統計上のエラーはあるだろう.とはいえ,必ずしも適切とは言えない手法を強引に適用したら計算上は今より3割所得が高い,と言われてもバカにされたように感じる沖縄県民は多いのではないか.
以上の議論を簡単にまとめる:
産経は,沖縄県が高知県と同じ計算方法を選べばもっと所得が高いと言っている.しかし,高知県の計算方法の方が適切であるとは考えにくいし,沖縄県が恣意的にナンセンスな計算方法を採用しているとも言えない(ただし産経の議論とは別の理由で,県民経済計算を質の高い統計と思っていない).高知県も計算方法を沖縄県と同様のものに変更した.
長くなったのでこのへんで.
この記事を書いた記者は最近新たに香ばしそうな沖縄統計ネタを書いているようなので(というよりそっちの方について問い合わせがあったのが今回の執筆のきっかけである),気分が向いたらそちらも検討してみたい.
(産経にマジレスすると私を工作員であるかのように書きたてる変な人達がうようよ湧いてきそうなポイズンなご時世であるが,政治的な何かには巻き込まないでいただきたい.)
参考文献
Jones, Benjamin F. 2014. "The Human Capital Stock: A Generalized Approach." American Economic Review, 104(11): 3752-77.